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于山国(鬱陵島と独島)の服属
512年👑 智証王

于山国(鬱陵島と独島)の服属

6世紀初頭、新羅は智証王の統治のもとで国家体制を整備し、領土拡張に拍車をかけていた時期でした。智証王は牛耕を奨励し、殉葬を禁じるなど内政を安定させ国力を増強することに尽力し、この国力伸長を背景に、東海(日本海)に位置する島国である于山国(ウサンクク)を服属させようとしました。于山国は現在の鬱陵島とその付属島嶼である独島を含む地域で、古くから独自の勢力を維持し、新羅に朝貢することなく独立した存在でした。新羅にとって于山国の服属は、東海(日本海)の海上権を確保し、国土を拡張する重要な課題でした。 智証王13年(512年)、新羅の勇猛で知略に優れた異斯夫(イサブ)将軍が于山国征伐の任務を担うことになります。異斯夫将軍は、于山国の人々が勇敢であるため、武力のみでは容易に征服できないことを知っていました。そこで彼は奇抜な計略を立てます。彼は木製の巨大な獅子(または猛獣)の像を作り、船に載せて于山国の海岸へと向かいました。そして于山国王に対し、「もし降伏しなければ、これらの猛獣を放って、お前たちの民を皆食い尽くさせるだろう」と威嚇しました。島の人々は陸の猛獣を見たことがなかったため、巨大な木製の獅子像を見て大いに恐れ、結局新羅に降伏することになります。 これにより于山国は新羅の領土に編入され、これは鬱陵島と独島が朝鮮半島の歴史的領域に初めて編入された画期的な出来事として記録されています。于山国の服属は、新羅の海上領土を東海(日本海)まで拡張し、東海岸地域の安定的な支配権を確立する上で決定的な役割を果たしました。また、智証王の壮大なビジョンと異斯夫将軍の優れた知略を示す事例としても評価されます。特に、この出来事は鬱陵島と独島が歴史的に韓国領土であったことを証明する最も古い記録の一つとして、現代の大韓民国が独島に対する領有権を主張する上で非常に重要な歴史的根拠となっています。